안녕하세요.크리스탈이에요.
어제로 3번째 동방콘서트가 끝났네요.하카타에 다녀오신 분들은 잘 다녀오셨는지요?나고야 가이시 홀에서도 무대를 후꾼 달군 정윤호의 허니 퍼니 바니의 일본버전은 역시 마린메세 후쿠오카에서도 대단했겠지요? 상상중,,,.
(こんにちは。クリスタルです。
昨日の公演で3箇所のライブが終わりましたね。博多でのライブは楽しまれたんでしょうか。名古屋ガイシホールでも茎付けになって見ていチョン・ユンホの「Honey Funny Bunny」 日本語バージョンはやはりマリンメッセ福岡でも凄かったと思います。想像中…。^^)
想像はこの辺にして前回名古屋に行っていた時、夜はTVXQのライブも見たんですが、昼間は名古屋を散策したり以前TVXQが行った、食べたと言う「熱田神宮」と名古屋の名物「ひつまぶし」を食べに行ったりしました。その他にも名古屋の隠れパワースポットでけっこう有名な「きざす神社」と、名古屋城も行って来ました。今日は日本でも大ブームの意外と知られていないパワースポットである「州崎神社」をご紹介致します。
≪州崎神社≫
江戸尾張十社の総社的立場にあり、皇室や公家、徳川家からの奉納も多かったという洲崎神社。享保17年(1732年)からは、名古屋の繁栄を願う藩主・宗春の意向で、船祭が行われるようになりました。奉納神輿とお供の船が洲崎神社まで堀川を下り、夜には武家の軒先や巻わら船に提灯をともす幻想的な風景を求め、多くの観光客で賑わったと言います。この『洲崎の天王祭』と、『東照宮時代祭』は、江戸時代二大祭と称されるほどの祭だったのだそう。残念ながら戦時中に奉納品の神輿は焼失し、祭も途絶えてしまいましたが、約20年ほど前から7月の第3土曜日・日曜日に『提灯祭』を開催。境内に約1000個の提灯をともし、復活の試みがなされています。
そもそも太古の昔、この神社周辺は海でした。洲崎神社の創建は貞観年間(859~877年)と言われていますが、岬にあたる部分にすでに石神を祀るお宮があり、当時からこのエリアは洲崎と呼ばれていたのだそうです。平安時代初期、石神の導きによって素戔鳴尊(スサノオノミコト)が奉斎され、明治45年に洲崎神社と石神神社とが合祀。現在の洲崎神社が誕生しました。ただ、今でこそこの規模ですが、名古屋城が築城される前までは名古屋市中区栄1丁目全体が洲崎神社の社地でした(名古屋城築城後は堀川が掘削され、武家屋敷の集まるエリアに転用)。
石神はおそらく縄文時代から祀られており、洲崎神社は縄文から平安、江戸に至るまでの文化財を保存。残念ながら文化財は一般公開されませんが、かわりにぜひとも注目してほしいのが、洲崎神社ならではの授与品。『五色鈴』と『猿曳きの絵馬』です。
『五色鈴』は、境内北側にあるご神木の銀杏の実をかたどったもの。歴史ある手づくりの土鈴で、郷土玩具収集家にも人気の一品です。慶長年間に疫病が流行った際、当時の人々はこれを玄関先に下げて厄除け祈願をしていたのだそう。素焼きの土鈴に神職の方が手塗りで彩色をしています。
もう1つが、『猿曳きの絵馬』。こちらも江戸時代からの図柄を引き継いだもので、白馬を猿が導いているというユニークな絵馬。白馬=神の使い、猿=みちひらきの神様・猿田彦命を表しており、神様のところに連れて行ってくれる姿を描いています。
洲崎神社のご祭神は厄災や病を除く素戔鳴尊(スサノオノミコト)。そして彼の妻にあたる稲田姫命(イナダヒメノミコト)、五男三女神。相殿として祭られる石神のご祭神は、霊剣で災いを断ち斬る布都御魂(フツミタマ)と、道祖神。道祖神とは、物事をよい方向へと導く神様・猿田彦命(サルタヒコノミコト)のことで、その妻・技芸と縁結びの神様である天鈿女命(アメノウズメノミコト)も、一緒に祀られています。よって、洲崎神社は、おもに「厄除け」「無病息災」「縁結び」にご利益がある神社。
≪アクセス≫
若宮大通沿い、新洲崎ジャンクションの近く。林立するオフィスビルやマンションの間にひっそり鎮座する神社で、タクシーの運転手さんでもときどき見過ごしてしまうことがあるんだそう。
名古屋→伏見(地下鉄・東山線・藤が丘方面行)→大須観音(地下鉄・鶴舞線・上小田井方面)
地図 http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.15984278&lon=136.89605694&ac=23106…
「地下鉄・大須観音駅」を北側に出て、若宮大通を西へ進み須崎大橋の辺りまで歩けば分かります。
皆さんももし名古屋へ行かれる際は一度足を運んでみて下さい。