どこの国にも関わらず隣国同士、もしくは関わりがあった国から影響を受けることはしばしばあってそれが定着すると人々は何気なく使うことになります。そういった現象は日本や韓国にもずっと前からあり、今も母国語のように使われています。
日本には「高麗~」の固有名詞がくっついた地名などが多くあるし、「キムチ」、「プルゴギ」、「チマ・チョゴリ」などといった韓国語をそのまま用いて使われることも少なくありません。それに語源が韓国語からなりたっている「バッチ」、「ノッポ」、「ツル(鶴)」も日本語の中で生き続けています。
上記のようなことは韓国の中にも存在し、日本語をそのまま用いて使っている言葉がたくさんあります。「うどん」、「すし」、「焼き~」などがそれです。また語源が日本語から成り立っているものもありますが、それは「고구마(サツマイモ)」、「담배(タバコ)」などがあげられます。「담배(タバコ)」については別の機会に紹介することにして、今回はサツマイモの「고구마」について書いてみたいと思います。
韓国で現在もサツマイモを「고구마」と言いますが、本来は日本語の「孝行芋(=こうこういも)」が訛って定着したものです。
「孝行芋」とは今のサツマイモをさしますが、江戸時代(1732年)の享保大飢饉や稲作が困難な対馬で百姓達の救荒用作物として用いたことからつけられた名前であり、最初から上記の名がつけられたわけではありません。では、最初はどんな名前だったのでしょうか?
そもそもサツマイモは南米で取れるもので、日本に入ったのは1604年野國総管(明への進貢船の事務職長)によってひとまず琉球国(現沖縄)に入りました。その名残で琉球国では「カライモ」と呼ばれていたようです。その後、琉球国から薩摩(現在の鹿児島県)へ入ることになり、また薩摩から本州に入ります。本州(江戸)では、サツマイモが薩摩から入ったことにより、サツマイモの名が定着したと言います。このサツマイモは次第に本州に広まりますが、1732年に起きた享保の大飢饉の時には救荒用作物として大活躍をなします。
韓国では江戸時代以前から日本と外交貿易とともに外交使節団である通信使を派遣していたのですが、1764年に来日した通信使のリーダ趙嚴(1719~1777:朝鮮時代の官僚)により、サツマイモが入っていくようになります。彼は韓国の釜山で行政長官を歴任していたこともあり、常に飢饉などで苦しんでいた百姓のため、飢饉対策を考えていたところ、来日する前から対馬側から聞いていたサツマイモに注目します。日本で日本の文人だちと交流を深めると共にサツマイモの種子と栽培法を得て帰国します。その後、済州道などに試してみますが、対馬の土地と似ている済州道で栽培が成功し、日本と同じく救荒用作物として用いられ、次第に全域に広まっていきます。ちなみに「고구마」の名は、今も対馬では「コグンマ」と呼んでいるようです。言葉って面白いですね^.~
고구마=コグマと聞くといつも
コグマ=小熊 が思い浮かんでしまうのですが
孝行芋が語源だったのですね~
나영
今と比べて中世や江戸時代のほうが日韓交流が頻繁に行われていて、その交流で伝来された言葉はいっぱいあると思います。ちなみにチョンガーっていう言葉をきいたことはありますか?
日本の辞書にものっていると思いますが、チョンガーは独身の男をさします。日本語学校で日本を学んでいるとき、日本語でお世話になったチューターさんから教えてもらった言葉です。もちろん、韓国では未だに独身の男の意味で『총각』といいますが、、、不思議ですね。
크리스탈
日本のことわざ、ころばぬ先の杖や楽あれば苦ありの様な韓国のことわざがあれば、教えて下さい。前に先生が、人生は死ぬまでわからないとの様な事をおっしゃっていた気がするのです。
あればもっと聞きたいなぁと思いました。
안녕하세요!^^ がっぱ巻き씨
댓글(返事) 감사합니다. 너무 너무 기뻐요 ㅠ.ㅠ
そうですね。韓国にも日本と同じく、ことわざや四字熟語などがあり、会話のなかでもたくさん使われています。
楽あれば苦あり→낙이 있으면 고생도 있다 です。これ以外にもたくさんありますので、あとはクラスでみんなと一緒に学びましょう。
기대해 주세요(お楽しみに) *^0^*
크리스탈
ありがとうございます。
Facebookに引用させてもらいます。
https://www.facebook.com/shinichi.harada2