曲不离口,拳不离手

二週間ぶりのプールは長かったです。
泳ぎのですが、動きが重く、思う通り前に進みません。お稽古事を休んではいけないなあ(曲不离口,拳不离手)と実感しました。
今日は疲れたから、明日にしようと思って休みます。一日を休んだら、二日目、三日目も休みがちになります。体が楽のほうに流れてしまったようです。気が付くと、もう二週間プールに行っていなかったです。

二週間ぶりのプール友は親切に挨拶してくれました。「お久しぶり、どうしたの」。
私は慌てて、「何もないです、ただ、サボっただけです。」
プール友はゆっくりした口調で、「私も、昔はよく来るか来ないか悩みましたが、来たらいつも来てよかったと思いましたよ。今、旅行から帰って来ても、プールに来ないと気がすまないです。お蔭様で、20年間、風邪さえ引いていないですよ。」
私は頷いて、「有難うございます。私も頑張ります。」
 
いつも生徒さんに「中国語の朗読は毎日の10分でも、週に一日の2時間より、効果があります。即ち、曲不离口,拳不离手」と勧めましたのに…
いつも水泳がなかなか上達しないと言いながら、三日坊主でよくプールを休みます。
反省しないとですね。

一屋不扫何以扫天下

先日友達の家に遊びに行きました。一人暮らしの彼女の家はとても綺麗で、私たちは話が弾んで、楽しく食事をしました。その後、爽やかにされた私は散らかっている家に帰ると、耐えられなくなりました。

翌日五時半に起きて、家を片付け始めました。二日間かかって、家を変貌しました。綺麗な家で、ラジオの「朝一番」を聴きながら、美味しいカボチャスープを飲んで、くつろぎました。

私は整理整頓が下手な人で、昔、ある友達が家に遊びに来た時、私の物溢れの部屋に仰天しました。一週間後、彼女から近藤典子の収納の本を郵送してくれました。書いた通りに片付けると、びっくりするほど家は綺麗になりました。大家さんに「収納のプロ」だと褒められ、よく大家さんの家の整理に手伝いに行きます。

しかし、自分の綺麗な家を保つのは、ルーズな私にとって、大変です。しばらくして、気を緩め、部屋はまた、ぐちゃぐちゃになりました。最初、ラジオで「一度地震のシミュレーションをしませんか?今すぐ散らかっている部屋を片付けませんか?」と言うことを聞いたとき、恥ずかしくて、すぐ片付けましたが、だんだん無頓着になり、できるだけ友達を家に招かなくなりました。

先日友達の家で、綺麗な家にいる爽やかな気持ちを蘇らせ、「人をもてなす気持ちで自分を持て成しなさい」という励みの言葉を思い出し、今回こそ、清潔な家を保ちますように。

「一屋不扫何以扫天下」(家の掃除ができない者は、どうして天下の掃除ができるのか?)と言う話があり、家を綺麗にしてから、仕事も頑張ろうと決意しました。

ギャップ

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先日、友達は出張で広州から来ました。生き生きした笑顔で、元気付けられました。

友達は11年間あまり、神戸と大阪に住んでいました。今年の2月、急に広州にある会社に転職することを決め、4月に帰国しました。4ヶ月ぶりの再会ですが、疎外感どころか、彼女はずっと日本にいる様で、私たちはいつも通り、週末を楽しみました。

神戸ファンの彼女は、飛行機から降りて、トランクを持って、神戸にある行き付けの美容院に直行しました。美と日本式のサービスに拘る彼女は、5ヶ月間髪をカットしなかったそうです。

こんなに拘る一つの理由は彼女は広州で人々が赤の他人に対する冷たさにぞっとしたそうです。

広州に着いて、まもなく、ある日の午後4時ごろ、ちょうどタクシーの運転手の引継ぎの時間帯なので、タクシーに乗ろうとした彼女は、なかなか乗れなかったです。焦った彼女は黒車(白タク)の運転手に声を掛け、普段25元の路程ですが、40元だと言われました。彼女は苛立ち、前を歩いて、また、タクシーを拾おうと思いました。10分後、断られたばかりの彼女は諦め、黒車に戻り、しかし、今50元まで値上がりました。渡る世間鬼ばかりだと実感しました。

赤の他人に対して、冷たいですが、友達同士は深い情が溢れています。大学の友達は彼女のために、歓迎会を開きました。卒業して、14年が経ちましたが、昔の懐かしい話、今の世間話で深夜まで、盛り上がりました。更に、親しい友達は定期的に会っています。大学時代のクラスメートの中に、出世した人もいます。友達に頼まれた場合、惜しみなく助けたという温かい話もよくあります。

赤の他人、友達との接し方のギャップがあまりにも大きくて、未だ慣れていないと彼女は笑いました。

「何よりも,互いに対して熱烈な愛を抱きなさい。愛は多くの罪を覆うからです。(最重要的是要热切地彼此相爱,因为爱能遮盖许多罪。)(ペテロ第一4:8)人々はこの聖句を生活に当てはめるなら、私たちは過ごしやすくなりますね。」私も笑いました。

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寒い日、家に篭って、霍建起監督の「暖」を拝見しました。タイトルのように、温かさは心に滲みました。

以下、あらすじを書いているので、まだ見ていない人は注意してください!

女優になるべきで、美しく、賢く、歌とダンスが上手な暖は、三人の男に裏切られ、ブランコの事故で、足が不自由になり、唖巴(生まれつき物言えない人を指す中国語)と結婚しました。
暖の竹馬の友――井河は、京劇の役者に惚れ込んだ暖を見て、心が痛み、暖の失恋を見て、チャンスだと思い、暖に告白しました。「大学に受かるなら、あなたのお嫁になる」と言う約束を聞いて、二人は「ブランコで天に昇った」ような気がしていた間、縄が断ちました。暖は足が不自由になり、井河は必死に勉強して、大学に受かりました。「必ず迎えに来る」と約束してから、井河は暖を離れました。
環境の変化は井河を変えます。北京に出た井河は約束を後悔しました。暖は察知して、返事しなくなり、井河は都合よく解釈して、気が楽になりましたが、やましい気持ちで故郷に帰られなくなりました。
貧乏で、醜い唖巴は、暖を愛し続け、三人の男に裏切られた暖を温かく見守りました。足の不自由の暖は割れ鍋に綴じ蓋(弯刀对着瓢切菜)だと想い、哑巴と結婚しました。
惨めな三人は、不幸です。

恩師に頼まれ、出世した井河は故郷に帰り、簡単に恩師の揉め事を解決しました。帰る途中、暖と偶然に会いました。また、暖の家に訪ねました。6歳の可愛い娘の調和役により、10年ぶりの気まずい再会を和らげました。
最後、暖は井河を黙々と見送りました。哑巴は娘を抱いて、追いかけ、井河に「暖と娘を連れて行きなさい」と手話をしました。それを見て、暖は哑巴の深い愛情に心を打たれ、井河に訳さず、泣きながら哑巴を無理やりに家に連れて行きました。娘は泣きながら、井河に訳しました。井河はまた、娘に約束しました。「大きくなったら、おじさんの所で勉強しよう。きっと迎えに来る」と。
最後、井河は次のように悟りました。
「過ちを償う機会は誰でもあるわけではないですが、私の承諾は私の懺悔で、私は幸せです。
誰もが初恋を実らせることができるわけではないですが、暖に一途な愛をささげた哑巴は幸せです。
哑巴はどんなときでも、暖を愛し続け、暖は幸せです。」
善良な三人は、幸せです。