在中国,人们初次见面,彼此往往要问:“您贵姓?”
中国では、人々は初めて会う時、「お名前は何とおっしゃいますか?」とよくお互いに聞く。
中国姓氏的由来
中国人在三皇五帝以前(距今约五千年),就有了姓。那时是母系社会,只知有母,不知有父。所以“姓”是“女”和“生”组成的,就说明最早的姓,是从母亲的姓。夏、商、周的时候,人们有姓也有氏。“姓”是从居住的村落,或者所属的部族名称而来。“氏”是从君主所封的地、所赐的爵位、所任的官职,或者死后按照功绩,追加的称号而来。所以贵族有姓、有名、也有氏;平民有姓,有名,没有氏。同“氏”的男女可以通婚,同“姓”的男女却不可以通婚。因为中国人很早就发现这条遗传规律:近亲通婚对后代不利。
中国人は三皇五帝以前(今から五千年前)から、苗字があった。当時は母系社会で、母親だけ知っているが、父親は知らない。「姓」という漢字は「女」と「生」からなったのは、最初の姓は母親の姓を継いだことを証明している。夏、商、周の時代、人々は姓もあったし、氏もあった。「姓」は住んでいた村或は所属した部族の名称からなったのである。「氏」は君主によって封じられた地名、賜られた爵位名、また勤めた官職名、或は死後功績によって追加された称号からなってきたのである。だから、貴族は姓も名も氏もあったが、庶民は姓と名があったが、氏はなかった。同じ氏の男女は通婚できるが、同じ姓の男女は通婚できない。それは中国では随分前から「近い親戚の間結婚すれば後代に良くない」という遺伝の規律が分かったからだ。
唐太宗的时候(公元627年),有个吏部尚书高士廉,把民间的“姓”记录下来,写成一本书《氏族志》,颁布天下,作为当时推举贤能做官,或撮合婚姻的依据。
唐の太宗時代(西暦627年)、吏部(官吏を管理する官職)尚書(官名:各省の長官)高士廉という者は民間の「姓」を記録して、「氏族志」という本を書いた。更に、この本を公布して、当時有能の士を推挙して、或は縁組みについていうの根拠となった。
中国姓氏有多少?
中国の姓氏はどのぐらいがある?
中国旧时流行着一本《百家姓》,它是北宋(公元960年~1127年)的时候写的,里面一共收集了单姓408个,复姓30个,一共438个。发展到后来,据说有4000~6000个,但是实际应用的,只有300个左右。
中国昔に一冊の「百家姓」という本が流行していた。これは北宋(西暦960年~1127年)の時編纂されたのだ。一つ音節の姓408個、二つ或は二つ以上音節の姓30個、合わせて438個を収集した。その後、4000から6000個まで発展したという説もあった。但し、実際に使われた姓はただ300個ぐらいだけだ。
中国姓氏的特点
中国姓氏の特徴
中国的姓氏分为单姓和复姓两种,其中单姓多,复姓少。中国有句俗话说“张王李赵遍地刘(流)”,意思是张、王、李、赵、刘这五个姓是中国最多的单姓,其中姓张的最多。不过,最新的统计结果告诉我们,现在中国人姓李的最多了,新的排列是李、王、张、刘、陈。
中国の姓氏は単姓(一つ音節の姓)と復姓(二つ或は二つ以上音節の姓)からなっている、その中、単姓は多い、復姓は少ない。よく言われるように「張王李趙という姓は所々流れている。(劉という姓の発音は流れるのと同じ。)」つまり、張、王、李、趙、劉という五つ姓は中国では最も多い単姓である意味だった。その中では張という姓は一番多かった。しかし、最新のデータによると、現在中国人の李姓は一番多い、最新のランキングは李、王、張、劉、陳だ。
姓氏中由两个或两个以上的字组成的复姓是很少的,最常见的复姓是诸葛、欧阳、司马、端木、公孙等。
姓氏の中二つ或は二つ以上の漢字からなった復姓はとても少ない。よく見られる復姓は諸葛、欧陽、司馬、端木、公孫等。
按照传统习惯,中国人一般姓父亲的姓,只有少数人姓母亲的姓。女子结婚后,仍然用原来的姓,不用改姓。
伝統な風習によると、中国人は父親の姓を継いだのは一般的であるが、少数の人は母親の姓を継いだ。女結婚しても、旧姓のままで、姓を変える必要はない。
汉族姓氏分布有着明显地区差异。李、王、张、刘等大姓在北方人中常见,而陈、赵、黄、林、吴等大姓在南方人中所占比例较高。
漢民族の姓氏の分布は明らかな地域差異がある。李、王、張、劉等の姓は北の方によく見られるが、南の方では、陳、趙、黄、林、呉等占める割合がかなり大きい。
中文部分摘自:中国文化网/中国概况/人民/家庭与生活方式;日文部分独自翻译。