スクールスタッフに中国旅行記を書いてもらいました。
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今回は、僕が中国に留学するきっかけとなった中国旅行について書いてみます。きっとこの旅行がなければ、僕自身中国に留学することはなかったと思います。ちょっと風変わりな旅行ですが、僕が中国好きになったきっかけです。
2004年当時の話ですが、サラリーマンとして日経新聞を読んだり、テレビを見たりしていると、毎日中国の情報が流れていました。テレビによれば、中国人はとんでもない非常識なやつらで、社会は好景気で、経済はバブルとなっているということでした。
ともかく時代の流れは中国となっている。僕自身、海外に住んでみたいと漠然と思っていたりもしましたし、またそんなイケイケの社会や経済を見てみたいとも漠然と思っていました。しかし英語が大の苦手で、他の国の言葉なんて喋れる訳がないと思っていましたし、海外に住むなんてすごいことだと思っていました。
漠然と海外行きたいなーと思いつつも、まあ無理だろうな、と思ったりして結局何も行動していませんでした。
そんなある日、会社から有給休暇が2週間たまっていると言われ、まだ海外に行ってみたことがないし、この先働いていたらなかなか長期の休みは取りづらいし、この機会に中国に行ってみようと反射的に思いました。
当時中国は、反日運動などがようやく治まってきた時で、飛行機は空いていて、チケットは直前でも取れ、1週間ほど北京IN上海OUTのチケットを取りました。お金は10万ほど持っていった記憶があります。持ち物は服と旅の指差し会話帳で、最初の一泊は、楽天トラベルで一泊1000円ぐらいのホテルを取りました。
飛行機の中では胸が躍り、楽しみで仕方がありませんでした。着く直前飛行機から見た初めて見た海外の景色は感動そのもので今でも覚えています。あーここが海外なんだ。遂に中国来たんだ。気分が高まりました。
午後8時過ぎに空港に降り立ち、右も左も分からぬまま、飛行場についたとたんびっくりしました。黒タクなのか分からないですが、金をもってなさそうなおっさんたちが大人数でまくし立てるように話しかけてきました。たぶんどこいくんだ?こっちに乗っていけ、そんなことを言っているみたいでした。
言葉も話せないのにこんなものに載ったら確実にぼられると思い、彼らを強引に振り払い、バス乗り場に行きました。ただバス乗り場についても、どのバスに乗ったら自分の宿につくのか分からず、旅の指差し会話帳で会話をしたり、住所を見せたりして、なんとかバスに乗りました。
結構楽勝や、とか思いながら、終点のバス停でおり宿を探したのですが見当たらない・・・、時間も9時を過ぎていて、これはまずいんじゃないかと思って、いろんな人に聞きまくりました。みんな親切に色々教えてくれて、何とか見当がついたかなと思ったら、ひどくのどが渇いていることに気がつきました。とりあえず何か買って飲もうと思ったので、コンビニっぽいところに入り、ペットボトルの飲み物を探していると、何とキリンの生茶がある。それをもってレジに行き、お金を払い(コンビニだと値段が書いてあるので楽勝です!)飲んだら・・・何と、激マズ!!砂糖が入っているじゃないですか!
お茶はまずいかったものの、のどが渇いていたので、これを飲んでさらに人に聞きまくって何とか宿に着きました。宿に着いたときは午前2時過ぎで、着いた瞬間泣きそうになりました。ちなみに宿の人も心配していたみたいで、とても親切にしてくれました。全然話せない僕に、いろいろな人が本当に親切にしてくれて、中国人の印象が一日で変わった一日でした。
深夜2時以降に宿に着いたにもかかわらず、海外の興奮からか、朝の6時に目が覚めてしまいました。
普段ならそのままダラダラ寝ているのですが、初めての海外ということもあり一分一秒も無駄にしたくないため、朝から散歩をすることにしました。安宿から五分ぐらい歩いたところに広場があり、昨日何もなかったところに大規模な朝市が開かれていました。ものすごい人です。
面白くて中に入ってみていると生活用品等を売っています。呼び込みも激しくて、「買って行け」みたいな感じで色々と話しかけられます。食べ物が売っている所があったので、朝食がてら肉まんとお粥みたいなのを買って食べてみました。確か値段は50円ぐらいだったような気がします。屋台の席に座り、肉まんみたいなのを食べたらびっくり、何と肉が入っていない、肉まんのまんだけのものでした。味がないのでまずかったです。お粥はピータンが入っていて鶏がら?の出汁みたいなのがきいていたので、そこそこ美味しかったと思います。
その屋台でも色んな人に話しかけられましたが、旅の指差し会話帳でちょっと話をするぐらいしかできず、その後、街を見たり、地下鉄乗ったり、人間ウォッチングをしたりと、見るもの全てが珍しく、全く飽きることがなかったです。
食事のためにお店に入ってメニューを見てもさっぱり分からなく、適当に注文してしまいました。僕が持っている旅の指差し帳をみて、店員も集まってきてなにやら話掛けてくるのですが、もちろん簡単な会話しかできません。どっからきたんだ?とか、日本から北京までどれくらい時間が掛かるんだ?とか、中国はどうだ?などなど。この指差し会話帳があったおかげで、客も店員も集まってきて、いろんなことを聞いてきます。こちらも筆談などで対応しますが、正直面白く、会話の内容もたわいのないものなのですが、国も文化も違う人間同士が話すのは本当に面白いと感じました。
そんなことをしながら、アジア圏最高峰の北京大学に行きました。学内では、めがねを掛けている人がやたら多く、静かであまり中国ぽくない気がして、真面目そうな学生ばかりで、街中とは全く違う雰囲気です。服装は地味で趣味は勉強みたいな人が集まっている感じ、一日大学にいたが勉強して食事をしてまた勉強してという感じでした。
その後、北京~上海の列車のチケットを買いにいきました。正直、今回の旅の最大の難関です。広大な北京駅のどこに切符が売っていて、無事に行けるのかが不安でした。よく中国の大都市の駅周辺は治安が悪いというのですが、乞食の数が半端ではありません。僕を見てすぐに外国人と分かるみたいなので、子供にしがみつかれたりしました。
中国の切符売り場がまた半端なく混んでいて、行列もあってないようなもので、とにかく早いものがちで人をかき分けて窓口までたどり着きます。中国の長距離列車の座席は硬座(板の席)、軟座(少し高級な、クッションのある席)、硬卧(狭い三段ベット)、軟卧(そこそこ広いベット)に分かれます。上海まで12時間もかかるということもあり、出来れば座席だけは避けたかったので、上海と軟卧を連呼していたら何とか切符を買うことができました。
何とか無事に上海に行く電車にも乗れ、そこでも中国人に話しかけられたりして、旅の指差し会話帳が活躍しました。本当にこの国の人は人懐っこく、みんな良い人に感じられました。また、中国語が満足に話せない自分がもどかしく、中国語を勉強してもっと会話がしたいと思うようになってきました。
早朝、上海につき、上海駅と書いてある駅の看板を見て、上海に着いたという実感がわきました。上海について早々に朝食を食べたのですが、肉マンがウマイ!!思わず何個も食べてしまいました。何泊かして中国の朝食を食べたのですが、一番美味しいのがケンタッキーのおかゆです。150円ぐらいしてしまいますが日本人の口に合います。美味しいです!
上海についてやはり感じたのは、発展していることです。近代的なビルが立ち並び、やはり都会だと感じました。しかし近代的なビルの横にすごい汚いビルがあったりと、部分的に発展してきているんだと感じました。
ホテルでは英語が話せる子がフロントをやっており、その子が非番のときにご飯を食べに行ったりと何かと暇をつぶすことが出来ました。また、足ツボマッサージに行ったりして、時間をつぶしていました。みんな無邪気に話しかけてくるので色々と話をしてみたかったのですが、話せない自分が悔しかったです。中国人はりんごをかじっていますが、みんな基本丸かじりです。また、よく言われることですが中国人はあまり並びません。そんなとこが新鮮でガンガン割り込みしました。
あっという間に10日ぐらいが過ぎてしまい、名残惜しいながらも中国を去りました。またきっと来るだろう。間違いなくそんな予感がしたし、中国に住んでどっぷりつかってみたいと思いました。この中国旅行は正直自分の人生を変えていったといっても過言ではありません。すごく楽しかったです。